キミはいつでもシークレット
 悩ましげにジュディスは息を吐いた。
 すぐ帰ると言った手前、あまりぐずぐずしたくないのだが。
 自分を取り囲む魔物を一瞥して、ジュディスは槍を構えた。
レモンタルトの秘密

「ちょっと出かけてくるわ」
 野営の準備中、ジュディスはリタに声をかけた。
「は? 今からどこに」
「狩り」
 こともなげに答えたジュディスに、リタは大仰に肩を落とした。
「……旅してるときからほんっと、変わらないわね」
「ふふ。大丈夫よ、食材を取ってくるだけだもの。すぐ戻るわ」
 そのしぐさが心配しているときのものだと気づいたのはいつだったか。
 嬉しくなってジュディスは軽く笑った。
「帝都近いし、別にいいわよ。一食ぐらい抜けるわ」
「あら、今はバウルで移動してるわけじゃないのよ。街まではまだ距離があるわ」
 いつもはバウルで移動するのだが、彼はミョルゾの街へ行っている。
 クリティア族が近々こちらの世界に下りてくるとかで、ジュディスがバウルに同族を運ぶよう
頼んだのだ。
 そういうわけで現在、ジュディスとリタは、エステルに届け物をするために徒歩で帝都に向かっている。
 送り主は「天を射る矢」のハリーである。
「凛々の明星」は帝国とギルドをつなぐ大切な架け橋―――有体に言ってしまえば便利屋となっている。
(みんなが笑顔になれるように、が私たちですものね)
 まだ大人になりきれていない、年下の少年を思い浮かべてジュディスは薄く笑む。
「それにきちんと食べないと体に良くないし」
「……いつだったかにエステルとダイエットに勤しんでたのはどこの誰よ」
 そんなこともあったわと、ジュディスはうなずく。
 結局ユーリたちの訴えに折れて食事を摂るようになったのだが。
「それはそれ、これはこれ。ね?」
「ね、って…。まぁいいわよ。さっさと行って戻ってきなさいよ」
「ええ」

 そう話したのが、ついさっき。だいたい5分。10分前くらいだろうか。
 魔物を1体なぎ払い、ジュディスは空を見上げた。
(心配してるかしらね。急がないと怒らせてしまいそう)
 物言いとは裏腹に、優しい子だ。あまり心配はかけたくない。
 ダッと走り出し、勢いよく跳躍する。
「月下天翔刃!」
 蹴り上げた魔物を更に回転しながら浮かす。
 最後に地面に叩き落して、ジュディスはひらりと着地する。
 立ち上がろうとしたジュディスは背後の気配に咄嗟に飛びのく。
 一瞬前にいた地面がえぐられて、土砂が舞う。
 その向こうに、巨大な蟷螂のような――。
「みんなお仲間?」
 呟くジュディスに四方から攻撃が続く。
 薙いで、蹴ってと鮮やかに切り倒していくが、どうしてもジュディスは空中戦が主になる。
 そして着地の際はどうしても隙が生まれてしまうのだ。
 後ろを再び捉えられたジュディスは、自分めがけて降る爪を確かに見た。
「……っ」
 跳ね飛ばされ、反射で受身を取る。
 空中で一回転したジュディスが見たのは、金。
(どうして?)

 着地したときには2体目が転がっていた。
「大丈夫かい?」
 案じる声はとても久しぶりに聞くもので、用件があっても会うことは滅多になくて――。
「ええ、…フレン」
 日の光を吸収したような金の髪。空と海の青。
 帝国騎士団団長、フレン・シーフォその人が、なぜか自分の前にいる。
「どうしてここに?」
 首を傾げたジュディスに、フレンは剣を払って答える。
「たまたまだよ。どこかに新しく街が作れないかと調査中なんだ」
「まぁ、団長様自ら?」
 いいのかと目で問うと、フレンは困ったように笑った。
「ヨーデル様が自分で見に行きたいとおっしゃられて…僕はその護衛だよ」
 ああ、と納得がいった。
 世界が救われてからしばらくは城に赴くのが主だったが、ここ1年ほどはほとんどハルルに
赴いている。
 きっと彼女は今、副帝として留守を預かっているのだろう。
「そう。……助けてくれてありがとう」
「リタが待ってるんだろう? 戻らなくては」
 身をひるがえしたフレンの横に並んで、ジュディスは微笑んだ。
「皇帝様を待たせて助けに来てもらえるなんて光栄ね」
 ふふっと笑ったジュディスに、フレンが生真面目に言う。
「一人で戦いに行くなんて、いくら君が強くても危険だ。リタも心配していたし、なにかあったら
どうするつもりだい? 君だって女の子なのに」
「そうね、ごめんなさい」
 素直に謝ったジュディスをフレンは少しの間黙視した。
「……本当に?」
 その言葉の真意をつかめなくて、ジュディスはフレンを見た。
「本当に?」
「……どういう意味かしら」
 その顔を見てなんとなく予想をつけたが、ジュディスはあえて聞いた。
 ――――聞いてみたいと思った。
「本当に思ってる?」
「私、嘘は苦手だわ」
 いつだったか、彼ではない相手に言ったのと同じ言葉を返す。
 実際、彼が言っていることはちゃんと納得しているし、理解もしている。
 リタやフレンに心配をかけたことも。
「……僕が」
 右手が握り締められたのがちらりと見えた。
(どうして、そんな顔をしているの?)
「いつも君の傍にいられれば、余計な心配はいらないんだろうと思う。でもそれはできない。
だから、危険があるのに飛び込んでいく君を知らない」
 どこかで怪我をしていても、知らずに終わることのほうが多い。
「だからできるだけ無茶はしてほしくないんだ」
「……難しい頼みごとね」
 嘘は苦手だ。だからジュディスは正直に答えた。
 この面子で無理無茶禁止はないだろ、と呆れたユーリの声がよみがえる。
 自分の意思で、能力も体力も考慮して戦いに臨んでいる。
 きっとそれが、傍から見ると無理や無謀に見えてしまうのだろうけれど。
「それに女だからなんて理由、戦いに持ち込むのは無粋ではなくて? あなたは部下の女の子にも
そうやって言うのかしら?」
「力の差ではどうしても女性では危ないことが多い。だからどうしても万が一を考えてしまう」
 それに、と続けられた言葉に、ジュディスはうなずいた。
「――そうね。たしかに心配かけるのは胸が痛むわ。信じてほしい、とも思うけれど」
 死なない程度には生きて戻ると、信じてほしい。
 苦楽を共にした仲間ならなお。
「信じたいけど、ユーリと同じく君も向こう見ずなところはあるだろう。だから、何度でも言って
おきたいんだ。嫌われるくらいに言っても足りないくらい」
 歩みを止めないフレンはジュディスを見ずに言った。
「そうね。ごめんなさい」
 先ほどと同じ言葉を繰り返す。
 今は伝えない思いを、ひっそりとこめて。

 テントが見えた。
 立ち上がったリタが一瞬形容しがたい顔をして、それから怒ったように腰に手を当ててそっぽを向く。
 その後ろで何人かの騎士に囲まれたヨーデルが小さく手を振った。
 人数分の馬もいるため、かなり大勢の旅連れである。すぐに二人になるのだが。
「リタが怒ってるわ。困ったわね」
 頬に手をあてたジュディスにフレンは諭すように言った。
「少しくらいは怒られたほうがいいよ、君は」
 なんとなくエステルを思い出させて、ジュディスは首をすくめた。
「そうかもしれないわね」
 テントに戻ったジュディスに、リタは遅い、そうなら連絡をよこせ、それか自分も連れて行け、と
まくしたて、それから「…心配したんだから!」と言った。
「ありがとう、リタ。待っててくれて」
 謝らずに、お礼だけを返した。
「―――では、我々は失礼します。道中お気をつけて。エステリーゼにもよろしく」
「殿下もお気をつけて」
 短く言葉を交わし、ヨーデルが騎乗した。
 隊列が整ったのを確認し、フレンは剣を掲げた。
「出発!」
 号令と共にヨーデル一行が進み出した。
 金の頭が小さくなっていくのを見ながら、ジュディスはこっそりと微笑んだ。
(女の子扱いも、たまには悪くないわね)
 それに、の続きを思い出して、その言葉の真意に淡く期待を持って。

『――――君だから言っているんだ』