「あ」
間の抜けた声に、リタは振り返った。
「何おっさん」
「あー、小太刀の飾り紐がちぎれちゃったのよ」
見ると、レイヴンの右手に山吹より橙色に近い色合いの紐が握られており、先端がぼさぼさになっている。
腰に手を当てて、リタは言った。
「飾り紐くらい次の街で見繕いなさいよ。ここならノール港が近いし」
「志半ばにして、我が友よ…」
「冗談なのは存在と詠唱だけにして」
「冷たいなぁリタっち。そんなこと言うならリタっちの帯とおそろいの紐にしちゃうぞー」
どこまで本気か分からないレイヴンの台詞に、まじりっけなしの本気でリタは応じる。
「その口聞けなくするわよ」
「…スミマセン」
それでも若干落ち込み気味のレイヴンを見たカロルがさらっと提案した。
「ならリタが一緒に選んであげればいいんじゃない? そしたらお揃いじゃなくなるよ」
「いい考えね。そうしたら? ちなみに青とピンクは外してね」
突然の成り行きに、リタは「はあぁ!?」と素っ頓狂な声を上げた。
「頼むぞリタ。ついでに足りないグミとかボトルもよろしく」
「お願いしますねリタ」
ダメ押しでエステルにまで頼まれたリタは、すでに逃げる道をなくしていた。
「なーんでおっさんと歩いてんのかな、あたし」
不満をありありと出しつつ、リタは店の中で飾り紐を見ていた。
(だいたいあいつらどういうつもりよ。こういうのはジュディスのが適任なのに!)
自分ではレイヴンの好みが分からない。
「おっさん、どんなのがいいの…って」
振り向くと当人は少し離れたところで女性店員と話している。完全にリタの声を無視して。
(…やっぱり断っておけばよかった)
面白くない気分のまま、リタはレイヴンを置いて店を出た。
(なによ、そんなに来たくないなら言えばいいじゃない! あんな風に無視しなくてもいいじゃないの!)
言ってくれれば自分だって他の人間にあっさり譲ったものを。
そこまで考えて、リタは立ち止まった。
……本当に? 本当にあっさりと譲れた?
ノーだと頭の中でもう一人の自分が答える。
簡単になんて、そんなことできない。
「……そんなことない」
ぜんっぜん、これっぽっちも、ない!
そう心の中で叫んで、リタはまた歩き出した。
「…あれ、リタっちがいない」
「お連れ様が?」
「うん。やー、君と話してたからかな」
いつもの軽口で応じながら、レイヴンは懐から財布を取り出した。
皆とは別の、自分専用の財布。だから支出は思いのままだ。
「お上手ですこと。嫌われてしまいますわよ、彼女に。このプレゼント、お連れ様にでしょう?」
「はは、まぁね。似合うかと思って」
紅い花。いや、花よりはむしろ――――。
飾り紐を選んでくれるお礼にと買っていたが、これでは平穏無事に渡せるかどうか。
「きっと喜んでくださいます。頑張ってくださいね」
「いや、一筋縄じゃいかない娘だから、口説き落とすのは骨が折れそうだよ」
捨てようか。
ラゴウの屋敷へ続く橋の上で、リタは手に持った飾り紐を見ながら逡巡していた。
あれから別の店で、もともとレイヴンがつけていた紐とよく似た色を見つけ買ってしまった。
腹が立っているのだから、こんなことしなくてもよかったのに、と後悔は尽きない。
「……見つけた」
背後から聞こえた声にリタは勢いよく振り返った。
「レイヴン! 何よ、ナンパは終わったの?」
言ってしまってから、自分がそれを気にしていると暴露したことに気がついた。
なんだか今日はいろいろうまくいかない。
「まーねー。…あれ、リタっちそれ…」
飾り紐を握っていたことを思い出し、反射的に手を後ろへ回す。
「なんでもないわよ」
「えー気になるー。なになに? もしかして俺様の?」
嬉しそうに覗き込んでくるレイヴンに、リタの腹は決まった。
「違うわよ! 捨てるんだから!!」
自分が買ったものより、やっぱり他の誰かからのプレゼントのほうが絶対いいに決まってる。
水面に向けて振りかぶった手を捕まえ、そのままレイヴンはリタを引っ張った。
後ろから抱きしめる形になったが、厄介なのはなんだかよく分からないリタの怒りのほうである。
「待て待て待て! せっかくリタが選んでくれたんだからつける!」
「気ぃ回さなくたっていいわよ、離せーっ」
じたばた暴れるリタに、いつもより低い声でレイヴンは穏やかに言った。
「しょうがないわねー。…リタっちが選んでくれたから、おっさんはそれがいーの」
ぴたりと動きを止めたリタに、ほいと小さな紙袋を渡す。
「…何コレ」
「イヤリング。リタっちに合うんじゃないかと思ってさ。でも気がついたらいなくなってるんだからびっくりよ」
自分のために何かしてくれていたという事実のほうがよほどびっくりだ、とリタは思った。
「機嫌直してくれた?」
包みをきゅっと握りこんだリタに、レイヴンはいつもの軽さで尋ねた。
「あちゃあ、おっさんとしたことが」
普段つかず離れずでいるから、少したがが緩んでしまったのかもしれない。
彼女はまだ幼いから。
乱暴で無愛想に見えて、実のところ本当に無愛想なのだが、反面もろい部分があることを知っている。
誰だってきっとそう。だから傷つけてしまわないか、不安になる時があるのだ。
「ほら、離れたからこっち向いて」
いまだに背を向けたままのリタに声をかけると、下をむいたまま反転した。
「じゃ、これもらってくわ」
どさくさにまぎれて掠め取っていた飾り紐を振って、レイヴンはさっそく小太刀につける。
「いっいつの間に…!!」
「捨てられちゃかなわないもの。あーよかった」
心底胸をなでおろして、少し迷って、自分よりずっと低い位置にある頭をなでる。
「大事にする」
「当然でしょ。…あたしも、」
「うん?」
言いかけたその先を飲み込み、リタは宿屋に向かって歩き始める。
「なんでもないわよ、ほら行くわよ!」
あたしも大事にする。あんたが選んでくれた物だから。
飲み込んだ言葉を胸の中でだけつぶやいて。
すぐに追いついてくる足音を聞きながら、リタはもう一度手の中の紅い蕾をきゅっと握ったのだった。