SWEET CHOCOLATEDAY

 久しぶりに訪れたハルルの街は相変わらず美しく穏やかだった。
 結界魔導器の機能は失われたが、幸いにもルルリエの花は枯れずにある。
 あと数時間で夕刻。急がなければ。
 馬を宿屋に預け、用件を満たすために僕は目的の家へ進んだ。

 ノックを二度し、扉が開かれるのを待つ。
 ユーリはノックしてからすぐ入ってくるのだと、彼女は笑いながら言っていた。
 ……女性の家なのに、まったくあいつは。

「はい、どなたです…まあフレン!」
 扉が開いて見慣れた桃色の髪が目に飛び込んでくる。
「お久しぶりです、エステリーゼ様」
「ええ。来てくれてありがとう、フレン。ヨーデルの使いです?」
「はい。こちらの書状に詳しく書いてあるそうです」
「分かりました。ではまた後日、帝都に行きますね」
 迎えを、とも思ったが、おそらくユーリが付き添うのだろうと思い、やめた。
「よろしくお願いします」
「はい、任せてください」
 そう笑って、お茶淹れますからどうぞ、と促された。
「フレンは働きすぎだって、ユーリが言ってました。前より痩せたようにみえます
し、少し休んでください」
 ……まったく、余計な気を回して。
 本日二度目の胸中の悪態をついて、僕は苦笑いをした。
「分かりました。エステリーゼ様がおっしゃるなら」
「ふふっ、ありがとうございます。ちょうどリタも来ているんですよ」
 その名前にびっくりしているうちに、エステリーゼ様が玄関に一番近いドアを開けた。
「リタ、フレンが来ましたよ」
「は?」
「え、エステリーゼ様」
 やっぱり帰ります、と言いかける僕に、彼女はにっこり笑い、手を引く。
「座ってください。リタもおかわり淹れますからちょっと待っててくださいね」
 すたすたキッチンに入っていくエステリーゼ様を半ば呆然として僕は見送った。
 少しの沈黙の後、ぶっきらぼうな声がかかる。
「座ったら? 別に襲ったりしないわよ」
「…君はそんな人じゃないよ。それに近接なら僕が有利だろ」
 そう言いながら、リタの正面に座る。もちろん剣を外して。
「久しぶりだね、リタ。研究はどうだい?」
「そーね、悪くはないわ。一人でやってた頃と違って、今は他の研究員とも話すように
なったし」
「そうか」
 それきり会話が途切れる。気の利いた言葉が出てこないことが、こういう時歯がゆい。
 自分が奥手だということは認めざるを得ないのだろう。
「大丈夫なの?」
 唐突にリタが言った。
「え?」
「……なんでもない。エステル、あたしちょっと帰るわ。ごめん」
 奥に叫びながらリタが立ち上がった。
 引き止めたい。と思った。けれど結局言葉が見つからない。
 彼女が顔を背けたら、もうこちらを向かないことを知っているから。
「え? もう入りましたよ?」
「やらなきゃいけないことができたの。また来る」
「はい、待ってます!」
 満面の笑みのエステリーゼ様にかすかに笑って、リタはひらりと手を振った。
 リタの笑顔が見られるのは、エステリーゼ様だけかもしれないな。
 リタが背を向けたら、振り向くことはないのだと知ってる。だから僕は黙って見送った。
「……フレン、引き止めなくてよかったんです?」
 リタの座っていた席にエステリーゼ様が座る。
 ありがたくお茶を頂いていた僕はむせそうになった。
「ごほっ、何を言っているんですか!?」
「だって、なんだか寂しそうに見えて…伝えたいことがあるなら、言ったほうがいいですよ?」
 どんな気持ちも。
「…伝えなくてもいいこともありますから」
 それっきりその話題は途切れた。

「――――ご馳走様でした。ずいぶん長居してしまってすみません」
「いいえ。なにか滋養のつくものでも作れればよかったんですけど、ユーリほどまだうまく
なくて…」
 61回、と僕はカウントした。1時間と少しの間でユーリと呼んだ回数だ。
『エステルはユーリが本当に好きなの。誰よりもね』
 誰よりも、と言っているときの悔しそうな表情がとても愛しいと思った。
 そして、まさか自分が妬かれているなんて思いもしないのだろうとも。
「エステリーゼ様ならきっと大丈夫ですよ。それではそろそろ失礼します」
「また来てくださいね」
 エステリーゼ様に見送られて街の出入り口まで馬を引いていた僕は、はっとして走り出した。
「リタ!」
 なぜ彼女が。しかも日は暮れつつあり、彼女の格好では少し肌寒いはず。
「フレン」
「こんなところでどうしたんだい? やることがあるって…」
「た、たまたまよ。たまたま…家に材料があっただけ」
 ……?
「なんか疲れてるように見えた、から。だから腹の足しにでもなればって、思って」
 ずいっと差し出された包みを見て、僕はぽかんとしてしまった。
「チョコレート。甘さは控えてあるから大丈夫よ。味見も一応したし、問題ないわ」
 端的につむがれる言葉で状況を把握した僕は口元を緩めた。
「なっなによ!?」
 けんか腰な言葉が照れ隠しなのだということも最近知った。
 彼女が不器用で優しい少女であることも。
「いや。……ありがとう、大事に食べるよ」
 パステルブルーの包みを受け取って、ようやく礼を言った。
 嬉しくて、なんて言っていいのか分からなかったから。
「お礼しないといけないな。何がいい?」
 こんなに喜ばせてもらったのだから、自分だって彼女を喜ばせたい。
「いいわよ、そんなの」
「いや、それじゃ僕の気がすまない」
「……じゃあ、考えておくわ。今度会うまでに」
「なしっていうのは駄目だから。約束」
 小指をたてて差し出すと、少しだけ笑ってリタが小指を絡めてきた。
 鎧越しなのが残念だが、彼女の笑顔を見たのだからよしとしよう。


 帝都に帰り、部下にチョコレートのことをさんざん追及されたことは言うまでもない。